お名前 | 井上俊一様 |
---|---|
年齢(留学時) | 61歳 |
留学校 | 中央大学 |
留学期間 | 3ヶ月 |
---|---|
宿泊 | ビジネスホテル |
ビザ種類 | ノービザ |
台湾への語学留学
60歳で定年退職してから約1年半経ちましたが、仕事をしていた頃にできなかったいろいろなことに取り組んでいます。テニススクール、スポーツジム、水彩画教室、英会話の個人レッスン、そして早稲田大学オープンカレッジの会員になって、好きな日本古代史の講義も聴講しています。
中国語の勉強も定年後のチャレンジの一つで、近所の中国語教室で一週間一時間の少ない時間ですが、レッスンを受けています。一年ほど通っていましたが、なかなかうまく会話ができなかったので、身体が動くうちにと、思い切って留学に挑戦することにしました。出張や観光で何度か台湾を訪問していましたが、すっかり台湾と台湾人が好きになってしまい、「留学するなら台湾で」と決めて、インターネットで調べたら37年前に卒業した中央大学と同じ名前の大学があることを見つけ即決しました。
国立中央大學
台北から台鐡で約1時間、桃園市で二番目に大きな都市、中壢區にある中央大學の語言中心に語学留学しました。期間は、秋学期(9/17から12/12)の3か月。授業は、月曜から金曜まで毎日午後2時から5時までで、先生がすべて中国語で文法や文章を教えるという形式でした。生徒は11人で、ベトナム人、インドネシア人、ウクライナ人、タイ人、アメリカ人、そして日本人。ほとんどが20歳,30歳代で、長年台湾に住んでいたり、中央大學に留学する前にそれぞれの国でかなり勉強してきている人達なので、私よりずっとレベルが高く、授業についていくのが大変でした。
毎日、宿題があるのとテキストの一つの課が終わるごとに1時間の筆記試験があるため、朝起きてから大学に向かうまでの時間、そして夕飯を食べてから寝るまでの間、予習復習にほとんど時間を割いていました。今までの人生の中で、一番勉強した3か月だったと思っています。授業の中では、会話の練習もありました。テキストの会話の例文を使って自分たちで違ったシチュエーションの会話を作り、その文章を覚えて皆の前で発表するという練習で、毎回 四苦八苦しながら会話をしたことを思い出します。秋学期の最初のころ、先生の話すスピードが速くてほとんど聴き取れなかったのですが、3か月たった12月に入ると、耳が慣れたのか不思議なくらい聴き取ることができて自分でも驚きました。最後の授業で、皆で夜来香を歌ったことが良い思い出です。
台湾生活
週末には観光に出かけたかったので、利便性を考えて中壢の街のビジネスホテルを安い料金で契約しました。中央大學は中壢の中心地から 4~5km離れた閑静な住宅地にあるため、どうしようか迷いましたが、健康も考えて歩いて通うことにしました。3か月で歩いた距離が何と500km。東京、大阪間を歩いたことになります。毎日の積み重ねがいかに大切かを身をもって実感しました。
近くに中壢観光夜市があって、大学からの帰り道、毎日屋台で搾りたての人参ジュース(人参丸ごと3.5本)を買っていましたが、お店のお姉さんと仲良しになって中国語会話の相手をしてもらいました。また、ホテルの近くにある日本料理屋さんを見つけ、毎日夕飯を食べに通っていましたが、台湾人の店員さんが皆、接客の合間に、中国語会話の相手をしてくれました。私が中央大學に語学留学しているという話をすると、すすんで会話の相手をしてくれました。台湾人のやさしさに触れた時間でした。
ひょんなことから、地元の八徳社區大學の日本語会話講座で日本語の先生(1か月に一回、日本人に話をしてもらって生の日本語の発音に触れる授業のようです)をすることになって、日本の四季、文化(正月に買う達磨さん、会津の起き上り小法師など)、東日本大震災の際の台湾からの義援金に対するお礼等々、2時間たっぷりと話しました。生徒は、私のような年配の方ばかりで日本語のレベルは、私の中国語のレベルと同じくらいの方が多く、お互いに違った言語を勉強する難しさを共感できて、とても実のある交流ができました。
日本が台湾を統治していた時代の古い建物、家屋に興味があって、週末には、毎週台北に出かけていました。台湾総督府、台湾博物館、二二八紀念館、台湾醫院(今の台大醫院)、北投温泉、青田街、温州街、台湾大學等々。今でも現役で建物を使用しているところが有難たくもあり、素晴らしいと思いました。
留学を終えて
留学を終えて、日本に帰ってちょうど一週間が過ぎました。
中国語は、知っているボキャブラリーが少なくて、まだ聴き取れず、うまく話せませんが、何かをやり遂げたという実感を強く持っています。60歳を過ぎてから新しい言語に挑戦するのは、間違いなく大脳のトレーニングになることを身をもって体験しました。
最後の授業のあと、ベトナム人の同級生の女性からメッセージカードを頂きましたが、
「あなたは、私の人生のなかで一番年を取った同級生でした」と書いてありました。
なるほど、自分では気づきませんでしたが、周りではそう思っていたんですね。
台湾人の友達もたくさんできて、日本に帰ってきてからも連絡を取り合っています。
日本にいては体験できないような様々なことが次から次に起こり、とても充実した3か月を送ることができました。これからも中国語の勉強は続けて、また機会を作って台湾に留学したいと思っています。