日本語と中国語で同じ漢字が使われていると、ついそのまま置き換えて理解しがちですが、実は使い方がかなり違うという例もたくさんあります。
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【ヒント】私たちが「討論(とうろん)」する機会って、どのくらいある?
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【解説】
この問題が気になったきっかけは、TOCFL模擬試験問題(Band Aリスニングvol.2_48)に出てくる次の文でした。
①這個課的報告真的不容易,但我想你可以先找老師討論。
レポートが書けないからこの授業は放棄するという友人へのアドバイスなのですが、こんな場面で、日本語では「先生と討論する」と言うことは少ないかと思います。「先生に相談する」「先生と話してみる」ぐらいの訳になるのでしょう。同じ問題の選択肢には、次のような使い方も出てきます。
②她可以和大明一起討論
大明の方がレポートで困っている学生ですが、こんな文脈の「討論tǎolùn」も「相談にのる」と訳した方がよさそうです。
次の日本語を台湾人同僚に訳してもらった時にも、「討論tǎolùn」が出てきました。
③まじめに相談しているのよ。/我是很認真地在跟你討論。
この文脈の「相談(そうだん)」は「討論tǎolùn」と訳した方がいいのか、それとも「商量shāngliɑng」と訳した方がいいのかは議論の余地がありますが、N1を取得して日本で暮らした経験もある同僚たちにとって、「相談(そうだん)」→「討論tǎolùn」という対応は全く違和感がないのだそうです。
逆に、①の文脈で「商量shāngliɑng」を使うと不自然だと言います。先生と話す場合、自分の意見も言いながら、先生の意見を聞くという状況ならやはり「討論tǎolùn」が自然。もし一方的に教えてもらうのなら、「請教qǐngjiào」です。
①の「討論tǎolùn」を「討論(とうろん)」と訳すとなぜ違和感があるのでしょうか。「討論(とうろん)」には、複数の人が同じ立場で議論しているというイメージがあります。ところが、日本では、先生と学生が同じ立場で議論し合っている場面を想定するのは少し難しい(大学院のゼミ等ではあるかもしれませんが)。卒論やレポートをどう書けばいいかわからない時は、自分の考えを少し述べるにしても、やはり「相談(そうだん)」と言う方が自然です。
②は困っている大明を友人が助けようとしているという状況。同じ立場ではないので、やはり「討論(とうろん)」が使いにくい。
私自身の経験を振り返っても、学校でも仕事でもプライベートでも、「討論(とうろん)する」という言葉をほとんど使ってこなかった気がします。相手との関係や話題によって、「相談する」「話し合う」「検討する」「ディスカッションする」等を使い分けてきたのです。誰かと「討論した」記憶をたどろうとしても、そんな場面は思い浮かびません。学生時代には、友人たちと色んなことを夜通し「議論(ぎろん)」していましたが、それを「討論(とうろん)」と呼ぶことはなかった気がします。「討論(とうろん)」には、オフィシャルなイメージがあるからかもしれません。
感情を抜きにして、意見だけをぶつけ合うのが「討論(とうろん)」だとしたら、私たちはそれが苦手なのかもしれませんね。自分の意見を主張する際には、どうしてもそれによって相手がどう思うのかという感情にまで配慮してしまう。逆に自分の意見を否定されると、自分自身まで否定された気持ちになってしまうこともあるのかもしれません。それが、自分の意見を強く主張し合うというイメージのつきまとう「討論(とうろん)」という言葉の使用をためらってしまう理由のひとつのような気がします。
時々、中国語の方が日本語よりきつく聞こえることがあります。でも、もしかしたらそれは、ある語彙のカバーする範囲を誤解しているだけなのかもしれません。どこまでが言葉の問題で、どこまでが気持ちの問題なのか、はっきり線引きできないことも多いのですが、それもまた、外国語学習の面白さなのだろうと思います。