「我們都是日本人。」から想像する「我們」の人数と、「私たちはみんな日本人です。」から想像する「私たち」の人数。ちょっとずれがあることに気づいていますか?
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【ヒント】「都dōu」をどう訳すか。
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【解説】
①我們都是日本人。Wǒmen dōu shì Rìběn rén.
この例文の「都dōu」から、「みんな、全部」という訳語しか思い浮かばなければ、「我們」はきっと3人以上とイメージしてしまうでしょう。でも「どちらも」という訳語があることも知っていれば、2人の可能性もあることが、すぐにわかるはずです。
日本語の「みんな、全部」は、対象が3以上でなければ使えませんね。二人(ふたつ)の時は、「どちらも、二人(ふたつ)とも、~も~も」等を使うことになります。ところが、中国語の「都dōu」は、対象が2でも3以上でも使えるので、文脈に応じて訳し分けなければならないのです。
以下のような例では、対象が2であることが明らかなので、「みんな、全部」と訳すことはできません。
②我和他都是日本人。Wǒ hé tā dōu shì Rìběn rén.私も彼も日本人です。
③今天和明天都很忙。Jīntiān hé míngtiān dōu hěn máng.今日も明日も忙しい。
同じような問題は、以下のような例でも出てきます。
④誰先說?Shéi xiān shuō?
・選択肢が二人の時:どちらが先に言いいますか。
・選択肢が三人以上の時:誰が先に言いますか。
⑤你要買哪個?Nǐ yào mǎi nǎ ge?
・選択肢が二つの時:どちらを買いますか。
・選択肢が三つ以上の時:どれを買いますか。
日本語の「誰」「どれ」を、選択肢が二つしかない時に使うと違和感がありますが、中国語の「誰shéi」「哪個nǎ ge」にはそういう制約がないのです。
中国語との比較対照の中で、普段意識していない日本語の特徴に気づくというのが、とても面白いなと思っています。
(2019.8.14)