立ち退きをしぶるおじいさんに、その子供たちが「こんないい条件はないのだから」と契約を促しています。このセリフは左側にぼんやり映っている息子のものですが、後ろの主人公の表情が、ここに至るまでの彼の動きを示唆していますが、今回解説する”看過了kàn guò le”も、この場面のカギとなる言葉です。

(画像はLINE TVからお借りしました)
那條件我們都看過了
(契約書の)条件は、おれたちが全部見ておいたから
「~したことがある」という経験を表す”過”の用法は、教科書でも早い段階で出てきますね。次のように<【動詞】+過>の形で使うものです。
①九份,你去過嗎? Jiǔfèn, nǐ qù guò ma?(九份には、行ったことがありますか。)
②他來過台灣嗎? Tā lái guò Táiwān ma?(彼は台湾に来たことがありますか。)
ところが、今回のセリフを「~したことがある」と訳してしまうと不自然です。契約書の条件を「見たことがある」だけでは、説得力がありませんから。
注目したいのは”過”の後に”了”もついているという点です。<【動詞】+過了>にすると、「~がすんだ」という意味になるのです。話し手と聞き手の間で、それが行われるだろうという予想が共有されている時、或いはそんなことは当然だと言いたい時等に使われます。
③午飯,你吃過了嗎? Wǔfàn, nǐ chī guò le ma? (お昼ご飯は、すみましたか。)
④今天郵差來過了沒有? Jīntiān yóuchāi lái guò le méi yǒu?(今日は、郵便屋さんは来ましたか。)/視聽華語2第4課
④はこの”過了”の使い方がよくわかる例です。毎日郵便屋さんが来る時刻はほぼ決まっています。だから、待ちわびている郵便物がある時等、その時間になるとこの言葉が使いたくなりますね。
次の例はTOCFL模擬試験問題から(BandAリスニング_vol.1_46)。教科書が見つからなくて焦っている息子が、母親から「机のところにはないの?」と言われてこう答えます。
⑤找過了,都沒有。 Zhǎo guò le, dōu méi yǒu.(探したよ。でもどこにもないんだ。)
この”找過了”には、「言われなくてもそんなことはすんでいる」というちょっとイラっとした感じが表れています。話し手の気持ちを理解する上で、とても大切なポイントなのです。
ドラマの息子のセリフでも、「契約書の内容を全部確認するのは当然のことだから、そんなことはちゃんとすんでるよ」という気持ちがこの”看過了”に込められています。
自分たちにとってもメリットのある立ち退きを、親に何とか同意させようとする子供たちの作戦を象徴するような言葉が、この”看過了”だとも言えるでしょう。
(2021.8.16)