第一話では、台北の建設会社で働いていた主人公が、田舎に帰っておじいちゃんのよろず屋を継ぐ決心をするまでが描かれています。当時の主人公の表情と、田舎に帰った後の表情の違いも印象的でした。このシリーズで最初に取り上げるのは、立ち退き交渉を担当していた主人公のこのセリフです。
(画像はLINE TVからお借りしました)
我們辦了好幾次說明會
説明会を何度も開きました
新しいビルを建てるために、今ある物件の地権者の家を訪ねています。何とかして話を聞いてもらおうとドアの前で声をかける主人公。
注目したのは、”好幾次”という言葉です。この<好幾+【量詞】>の形は教科書にもよく出てきますね。では、この”好”があるのとないのでは、どう違うのでしょうか?次の例を比較してみてください。
①我有幾個台灣朋友。 Wǒ yǒu jǐ ge Táiwān péngyǒu. (台湾人の友達が何人かいます。)
②我有好幾個台灣朋友。Wǒ yǒu hǎo jǐ ge Táiwān péngyǒu.(台湾人の友達が何人もいます。)
①②で表現されている友達の数そのものには、違いはありません。違うのはそれを相手にどう伝えるかという話し手の気持ち。台湾人の友達が数人いた場合、①はその事実を淡々と伝えているだけなのに対し、②には「たくさんいるでしょう?」という話し手の気持ちが込められています。
今回取り上げたセリフにも、「何度も説明会を開いたのに、出席してもらえなかった。私たちは誠意を尽くして説明しようとしている」という気持ちが込められています。もし、”好”を落として次のように言うと、この「何度も」が「何度か」になってしまい、「誠意を尽くしている」という話し手の意図は伝わりません。
③我們辦了幾次說明會 wǒmen bàn le hǎo jǐ cì shuōmínghuì 説明会を何度か開きました
”好”だけを形容詞として使うと「よい」という意味になります。よいか悪いかの判断は、話し手の主観そのもの。そのため、これを他の言葉と組み合わせて使う時にも、どうしても話し手の主観が強く出ることになります。”好吃hǎochī(食べ物がおいしい)” ”好喝hǎohē(飲み物がおいしい)” “好聽hǎotīng(声や音等がいい)”のような形容詞も、”好多!Hǎo duō!(すごく多い!)” ”好高!Hǎo gāo!(すごく高い!)”のような感嘆文も、”好”がつくことによって、話し手の主観が増している点が面白いところです。
ちなみに、①②をGoogle翻訳にかけた結果は次のようなものでした。
①台湾からの友達が何人かいます。
②台湾人の友達が何人かいます。
話し手の気持ちに関わる言葉は、翻訳の精度にまだまだ問題がありそうです。
(2020.5.21)